戦時中は国に捧げる一心で軍人を目指していたが
私は昭和七年四月、鹿島区の生まれで、今年七十六歳。終戦の時は十三歳で相馬中学校の一年生でした。
小学校六年生の時には、大日本帝国荒鷲少年航空隊の勲章を全校ただ一人授与された。そんなことがあって以来、相馬中学一年生の時から幼年学校受験を志した。姉が熱心に勧める幼年学校は、軍人一筋に生きる大きな目標であった。受験勉強は勿論のこと、柔道、剣道に余念がなかった。訓練を積んで体力、精神力を鍛えたりするのに苦痛は感じなかった。身も心も国に捧げることと、日本人を敵から守る純粋な気持ち一筋しかなかった。
しかし、夢中で突き進む私の目標に八月十五日が大きく立ちはだかった。敗戦の日であった。
現実の軍事基地の姿を見なければ
それから数十年の歳月が流れ、戦争体験者が毎年減り続ける中で、机上の空論より、全国の問題を抱える基地などの現地視察をして、現実的な議論にしようと、お互いに自費で参加することを話し合った。
護憲、平和と民主主義を守る相馬地方会議、憲法九条の会にかかわっていた平和運動に熱心な、郵政省、NTT、小中学校教員の七名で、青森県から沖縄県まで、七人が夫々分担をして、まわる地区の案内人と内容の打ち合わせを話し合いで決めた。
二十五年前から七人の友人と平和学習の旅を
○青森県三沢基地
まず二十五年程前に、米軍三沢基地を訪ねた。そこに勤務する人々の話を聞き現在と将来に抱える問題、市民の悩み等質問を交えながら現状について話し合った。
爆音と訓練中の誤爆、小・中学校の授業中の騒音と反対陳情の間で、組合の役員を挟んで小さな問題一つ一つを解決に近づけるに苦労している様子が生々しく受け取れた。
「基地の撤去が一番です」
環境の面からも、米軍人の私生活が市民に及ぼす影響からも、基地が撤去されることが一番望まれることだと話を結んだ。
象の檻と呼んでいる巨大な通信網にできるだけ近づいて見たり、核燃料使用の処理現場を見学し、何故、三沢でなければならないのかと、案内人の市民を代表した言葉が強く印象に残った。
〇三宅島
伊豆諸島の三宅島、米空母艦載機夜間発着訓練(NLP)基地建設問題に悩む島民の反対運動を知り、七人で三泊四日で晴美荘に合宿研修に渡った。
誘致意見書が強行採決され、温和な島民気質を無視した機動隊の度重なる暴挙に島民が立ち上がり、無視された住民の怒りが爆発し、混迷から全島一丸の闘いへと突入していったという。三宅島独特の暑い「炎天下の島いくさ」といわれた。
噴火災害から身を守れない島民が、農業や漁業に与える悪影響を考え、この三宅島に大型軍用ジェットの発着場は要らないという切ない島民意識と、根強い反戦意識が大きくのしかかっているのである。何故、政府は三宅島に犠牲を強いるのか。
心配な米原子力空母の事故
○横須賀基地
神奈川県横須賀市を訪れ、軍港を見学する。東郷元帥の乗船した軍艦の内部を見て歩き、また改めてアメリカ軍艦がいかに大きいかを見渡たす。
「核兵器を持たない・作らない・持ち込まない」の非核三原則を無視した入港が今では大胆に行われている。原子力艦に事故が起きないと言われても、艦内に小さな火災が起きただけでも、世界に大きな反響を及ぼし、横須賀市民も巻き込んだ大災害に波及するか知れたものではない。原子力空母の艦内の施設から考えて横須賀市民だけの問題にとどまらない大災害となる。
軍艦の事務局を後にして、夜、市民の方々との会合では、核持ち込みの軍艦寄港に反対行動を起こす人、安保の面から賛成する人、無関心の人達の対応で大変なのだという。
人の波 広島の平和公園
○広島・長崎
広島・長崎の世界大会に参列してきました。平和公園は人の波で埋めつくされていました。広島では会場に入りきれない人達が三々五々会場の公園内の慰霊碑に参拝しておりました。資料館を訪ね、目を覆いたくなるような悲惨な被害を目のあたりにしました。
広島も長崎も市内の復興がめざましく資料館や記念ドーム以外では、原爆の悲惨さを物語るものが少なくなっていることが現実で、最も恐ろしいことだという。原爆投下により戦争の終焉を早めたと主張してきたアメリカの一部でも、原爆被害の残忍さが理解されはじめ、国連でもようやく認められはじめてきています。
その被害の広島・長崎が味わった苦痛の日々を、日本国民は原爆投下の時さえ忘れかけようとしています。
沖縄 福島県の碑
○沖縄
沖縄では、地上戦の跡地に真っ直ぐ向かいました。全国の記念碑の前で合掌し、特に福島県の慰霊碑の前では深々と拝礼しました。
案内の方の説明は熱をおび、青く見える海に多くの自決者が浮かんでいた状景を想像し、深々と礼をしました。さらに、ひめゆり記念館では地上戦の裏で繰り広げられた壮絶な体験を、生き残りのおばあさんから切々とした想いをきいてきました。
戦争や戦死の美化には怒りが!戦争の狂気をきちんと伝えよう
○むすびに
戦争を勇ましく、人が死ぬことが美しく措かれている本や映画を目にすると、怒りがこみあげてくる。特攻隊、集団自決、大量殺戮・・・戦争のそこかしこに「狂気」がみられる。
戦争は醜い。個を破壊し、家族をめちゃくちゃにする。そのことをきちんと伝えるのが、生き残った者の責任だ!
われわれ七人の同志は、今でも家族ぐるみの交流が続いている。
想えば貴事な(?)な人脈である。